4 月 20 日(金)雨のち曇り 廿日市ボートパーク~佐田岬漁港 65マイル レポート:渡海
0500 出航 雨の中、平田親子に見送られて、「汽笛一声」まだ明けきらぬ廿日市港を出航、広島はつかいち大橋をくぐり貯木場の突堤まで出たが、霧雨で宮島瀬戸の江ノ島の灯台すら見えない。エンジンン回転数 1850 回転、速力 6.3 ノット、絵の島右側を通過し、同じく小黒神島の右側を通過する。岩国沖辺りから引き潮に乗り 7.0 ノットになり始める。0900 大畠瀬戸通過、風はアビームからクオータリー、下荷内、平郡を通過し、1103 八島通過、船速 7.5 ノット、小雨も上がり日が差し始めたが、すぐに曇る。風は北から東、北東など、ころころと変わる。2 時前佐田岬通過し昼寝をしている間に佐田岬漁港に到着1500、何時もの場所に着岸するが潮が引いておりバラストがコツンと当たり、30 メートルのロープをさらに継ぎ足して斜め後ろの岸壁から引き、現在の岸壁から離し沖出しすることとした。
早速 地元の漁師が経営する「大岩荘」に電話し、1800 時の夕食とお風呂の予約を入れた。繋留してあるヨットを見ながら展望風呂に入り、刺身を楽しんだ。漁師の店だけあって刺身は何時も美味しい。
4 月 21 日(土)曇り時々雨、後暴風雨 佐田岬漁港~佐伯湾大入島「海の駅」 31マイル レポート:佐竹
0604 出航、前日あらかじめ1ポイントリーフしておいた甲斐あり風が段々と強くなる。出港間もなく出港作業で船酔いしたのか一名ダウン、二名のワッチとなるジブセールも半分にして走るが、また風が強くなりそうなので早めの2ポイントリーフを行う。波は 1メートル前後でたいしたことも無く本船航路を横切るコースでも行交船も少なくて緊張感の無い時間帯しばらくして段々風が強くなり波も 1.5 メートルに時折 2 メートルが混じるようになり、ドジャーにもスプレーを被るようになった。午前中だけ走るつもりの尾浦入港予定であったが、急遽変更し佐伯湾の大入島の「海の駅」に入ることにした。大入島と佐伯港東には灰色の護衛艦が3隻休養のためか、低気圧を避けての避泊のためか停泊している。メインセールをたたみ桟橋 1100 着岸、豪華昼定食と生ビールを堪能。「海の駅」食采館は5:30終了と終業が早いため夜は、豚汁にうどんを入れ、レトルトの肉ジャガに、缶ビールで乾杯して我慢することとした。テレビの電波状況が悪くて映ったり、映らなかったり、アンテナを値切ったためか?
4 月 22 日(日)暴風雨 佐伯湾大入島避泊 レポート:山口
今日は朝から台風状態、ゆっくり朝食を頂いた後何もやることなし、午後には風波も落ちてくる予報もあり尾浦まででも行こうかと言っていたが、波が残りそうなので断念、年寄り2 名はトイレの扉と壁にダイノックシート貼りに専念、綺麗になりました。昼は食采館で名物ゴマだしうどんに、生ビールで乾杯。午後も残りの作業に専念、水も 80 リットル公園の水場から頂いて補給作業完了。明日は細島まで行くぞ。
昨日、食采館前~積み込んでいた自転車を組み立て大入島を一周してみた、過疎の島だとの事だが廃墟と成った養殖場を何箇所か見た、人手もなく、或いは経営に行き詰まったのか定かではないが非常に物悲しい思いがした。
そして本日、わが町横川では「ふしぎ市」たるイベントをしており、ヤタラト電話が掛かって来たり、掛けたりしたが何とか終わったとの事、でひと安心、それで自分はと云えば、朝6時前に起きて「海の駅」食采館隣接のトイレに行って洗濯までしたが、その後風雨が強くなり、洗濯物を船内に干す。この航海に出るまで種々忙しく体調も良くなく、岬漁協港からここまで来るのに久々の遠距離航海にダウンしてしまい、ここに着いてからノンビリさせて貰ったせいか体調も序々に良くなってきた。明日、細島港まで船酔いすることも無く行くことが出来るといいのだが・・・
「もう、バナナの世話にはなりたくないな!!」・・・・・記 山口
4 月 23 日(月)晴 北の軽風 佐伯湾大入島「海の駅」~細島港 54 マイル レポート:渡海
霧に霞む大入島を0715出航、徐々に左回り込み佐伯港を通過すると、霧も晴れて着た。前々日から停泊中の護衛艦3隻と潜水艦が、出港準備中である。いちばん身近の護衛艦の1隻から発光信号が此方に発信されている様だが、残念ながらモールス信号は不勉強で応答できない。そのまま此方が護衛艦の横をすり抜ける間、抜錨旋回を待ってくれたようで申し訳ないことをしてしまった。
前々日からの波浪の残りか南東方向からのうねりが岬を廻ったとたんにやってきたが、暫くすると2~1.5m位で安定してきた。風は西から徐々に北に回り追っ手となり「どんぶらこ、どんぶらこ」の状態である。どちらかに落とせばいいのであるが今日は山口さんの体調も少し良いようなので、距離をかせぐために直線で走る。霞んでよく見えない海岸線を平行に走る。昼食はレトルトのご飯パックとハヤシライスですませる。
1600時 一番奥の何時もの場所に繋留するが、岸壁の下の部分が引っ込んでいおり、満干で手摺やフェンダーが引っかかりそうなので横アンカー打ちをして沖だし繋留とした。早速 漁協経営の「海の駅」に夕食に向かうが、本日は月曜日で、定休日であった。メニューを見ると「安くて美味しそう」残念!仕方なく港の艇を止めた南西方向のイオンに向かう。食事をして帰る積りで有ったが、氷を仕入れる必要があるので、夕食と生鮮食品など買って帰り、艇でゆっくりすることにした。
艇の近くまで帰ると、濃紺の制服を着た人 3 名、艇を見ながらも、こちらを見ている。私は知らぬ振りして通り過ぎようか、どうしようかと思っていたところ、気の優しい佐竹氏が頭を下げる。あちらも答礼されたので仕方なく近寄ることとした。こちらの思いを知ったように「臨検ではありません」と、・・・先に言われてしまった。「お知らせ」をお渡しします。とのことで、以前 こちらで寄港中に大きな巡視艇の臨検、小型の巡視艇の重ね重ねの臨検を気持ちよく忘れることにした。
中々良く出来たマリンセーフティガイド、自分たちでこしらえたとのこと、さすが近頃の若人、メモ帖まで付いていてありがたい。調達した夕食をゆっくりと食べ、明日に備えてはやめに就寝した。
4 月 24 日(火)晴 微風と、波長の長いうねり 細島港~油津予定を志布志港に変更 85マイル レポート:佐竹
今日は距離を稼ごうと 4 時半起きで 5 時出航の予定を夜が明けきれず明るくなってからの出航となる。港の入り口に定置網(養殖生簀?)がたくさんあるため怖いので念のため。クッキーとコーヒーだけで出航。港を出ると南からの1.5~1.8mのうねりが残っておりそれに北からの風で0.5~1mの波が混ざった状況で、余り良いとはいえないまでも外海ですから・・・風も真後ろからの風で余り強くなく、風と同じ速度で走る感じでセールがバタバタと暴れるのでエンジンの回転を少し落とし風を受けておさえる。それでも、下げ潮に乗り平均 7 ノット位で快調に走る。8 時ごろ渡海さん特製のサンドイッチで朝食。
風はだんだんと弱くなり走りに貢献しない。昼はレトルトのカレーとビールをデッキで乾杯。雨後の湿気での霞みか視界は 3 マイル前後、本船の行き交い船も少なく 360 度何も見えない状態もしばしば、レーダーでは 6~7 マイル西側に九州があるのが確認できるのだが、レーダーは電気を食いすぎると渡海さんにスイッチを切られてしまった。ゼーファーラーのGPSはアフトキャビンにメインのパソコンを置いて運転席の前にモニターが有って、出航前には予定コース入力して有るのだが、運転していると油津まで 6 マイル位になったとき予定コースが「スルスル」と勝手に志布志港まで伸びてしまう。やられた! (少しでも早く八木さんの待つ志布志港へとのことかな・・・・)今回いるかとの遭遇 2 回。1 度は山口さんが近くで跳ねたのを確認、2 度目は 7~8頭が船とランデブー、遊んでいるかのように近づいたり、跳ねたり、シャッターの遅いデジカメでも何枚か撮れたようです。
快調に走れたお陰で 6 時半には志布志港入港。
先週シングルハンドで廿日市から志布志まで帰郷した八木さんに連絡を取ると、すぐ来ると言うことで車で来られ近くの国民宿舎のお風呂に連れて行っていただき入浴する。残念ながらレストランは 8 時の閉店で間に合わず、八木さんの知っている和風レストランに廻ったが、残念ながら此方も 9 時で閉店終了で、近くのファミリーレストランにて再開を喜び、ビールで乾杯!
4 月 25日(水)曇り
停泊中の作業 レポート: 山口
6 時起床、早速そこらあたりを散歩しながら公園を探す、もちろんトイレを探すのが目的ではある・・・・・15 分くらい歩いて橋を渡ったところにあった。帰ってみたら八木さん既にライジャケを着込んで、自艇のヨットを繋留するための作業をやる気満々モード、二人でゼーファーラーに乗り込むと、渡海さんが朝食の準備に取り掛かっていた。コーヒーを私に入れるよう言われるが、数年前の私には考えられないことだった。コーヒーが飲めず、別メニューの昆布茶か、紅茶だったが加齢(華麗:優雅にこの方がいい)せいか趣向が徐々に変わってきたようである。朝食を済ませてから、作業開始、アンカーの組み立てから、ゴムボート組み立て、渡海さんの支持でテキパキと作業は進み繋留用ロープワークが大体出来たのが 12 時半だった、一段落をしたところで、ホームセンターに不足物を買い行き、併設しているスーパーで八木さんが弁当を買ってくれたので昼食。雨が降り出し作業は中止したためビールで乾杯!!!!!
その後は大人4人むんむんする中、大入島でトイレのドアや、壁に貼ったダイノックシートのふち周りにマスキングをしてシリコンを充填したり、明日の作業の段取りなどをするが、何時も感心するのが渡海さんのリーダー振りだ、海やヨットに関する豊富な知識に私は恩恵を受けているようだ。
ここ志布志港で、同僚のヨット仲間であった八木さんのヨットのためにアンカーや、ロープ、チェーンなど取り揃えここまで運び設営して、去ってゆく後姿をきっと八木さんは波止場から何時までも見送るのであろうか?・・・(演歌の様な世界だが、演歌はヨットに似合わないか?)・宇宙からやって来て地球でヨワキを助け、去って行くようなウルトラTOKAIである!
4 月 26 日(木)曇りのち強風・雨 志布志港にて作業後、都井岬野生馬観光 レポート:渡海
午前中、前日の残り作業のスチロールブイ取付を行うが、昼前より段々と風雨が強くなり作業を中止し、八木さんの案内で「大黒寿司えびす亭」にて昼食をご馳走になり、その後、野生馬のいる都井岬に観光案内頂く。都井岬の灯台では螺旋階段を上り、光源ライト下のバルコニーに出ると、すごい風が吹いていて吹き飛ばされそうになり思わず、手摺にしがみ付いてしまった。
不足品をホームセンター(スーパー併設)に買い物に行きレトルト調理に、水節約のため電子レンジを購入し、トースターターが置いて有った所に工作好きが、3人掛かりで取り付けた。夕食はスーパーで購入した惣菜と昼の残りの巻き寿司や、いなり寿司で済ませる。
4 月 27 日(金)晴れ 微風 志布志港~指宿漁港 61マイル レポート:渡海・山口
朝一番 前日に続きゴムボートを出し、八木艇の仮アンカーの引き抜き作業を行う。昨夜 寝ずで考えた「佐竹案 NO.1」にて他艇のアンカーロープにこちらのロープを潜らせ、二人掛りで“ムムム”と言うくらいの力で引き上げると、一発で抜けて目出度し目出度し、朝食を手早く済ませ後0740時、八木さんに別れを告げ山川港に向け出航、心なしかうつむき加減で手を振る八木さんの姿が、心に残った。
弱い北の風を受け内之浦漁港を右手に見ながら岬を通過し、右に転舵する。種子島レースに参加するため早朝に先行した志布志港のヨット YAMAHA26 の廣岡艇はまだ見えない。
天気もよく順調に航海が続くが、先に出航したヨットに1マイルほど近づいた頃だったか、左舷側の沖の方見ていて、ふと正面を見ると今まで無かった岩か大きな漂流物が150mに有る。あわてて操縦をしていた佐竹さんに知らせようとするが、岩が沈んで行くのと同時くらいに「尾びれ」が海面高く上がりゆっくりと沈んでいた。ここで始めてクジラとわかるが、そういえば一週間前この辺りでジェットホイル艇トッピーがクジラと衝突したと聞いていたが、まさにあり得る事故だろうと思った。遅まきながら佐竹さん、渡海さんに知らせたが、クジラは左舷後方での潮吹きと、背中が、お二人とも辛うじて見ることが出来たようです。
やがて先発のヨットに追いつき廣岡さんの「ザトウクジラ」見ましたか?の会話からはじまり、目指す山川港の情報を得る。明日は種子島レースで、今夜山川の港に30隻余りが集まるとのこと、繋留出来るかどうか不安もあるのでと追っ掛合流組に取っても交通の便の良い、指宿に変更する。佐多岬を廻ると優雅で美しい姿の「開門岳」が見えてきた。錦江湾を北上、先に到着していた山本さんと午後4時半に合流。繋留場所は漁業組合の方の案内で漁協桟橋横の漁船に付けさせていただいた。ただし此処は潮の満干の差が大きなときは無理とのこと、幸い本日の満干差1.6m でO.K であった。欽也さん親子と杉山さんは午前12時4分指宿に到着のことで、さすがに待ちきれず我々3人で食事をすることに、指宿駅の方角に歩いてゆく途中の「美庵樹」たる小料理屋に飛び込み宮城の岩牡蠣、”あら”の刺身等、たいへん美味しくいただきました。
その後指宿駅まで行き時刻を確かめ、スーパーで食料の調達などしてヨットに帰り欽也さん達が来るまで仮眠をすることに・・・・・・・・4人が到着した後は、ご多分に漏れず宴会の始まりでした。
その-2 へ 続く
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