第 5 日目 4 月 28 日(土)
島根県 温泉津港 ~ 隠岐 西ノ島 浦郷港 70 マイル
レポート:原 恒道(温泉津港乗船) 天候:晴れ 風:中風
出港:0500
ついに隠岐の島へ渡る日の朝となった。生まれてから高校までは島根県に住んでいた私にとって、一度は行 きたかった所である。広島に単身赴任中にゼファーラーの面々と知り合いになり、隠岐の島へ一回は行きたい と話したところ、免許は4級ではなく1級が必要と教えてもらい、直ちに宇品で小型船舶の1級を取得。とこ ろが秋に免許を取り年明けから本格稼動と思っていたところ年明けに東京に戻ることとなり、以後、数回益田 に帰省時にゼファーラーに乗せてもらう程度のため、それでなくても覚えの悪い中高年覚えたロープの縛り方などあっという間に忘れてしまい、資格はあるがそれで操 船できるか別問題。ペーパー船長である。
今回の隠岐行きの計画を聞き、臆面も無く参加を希望。 休みの関係で、温泉津から隠岐諸島へそして帰り航海で山 口県の見島までの美味しいとこだけ乗船させてもらうこ ととなり、前々日夜、妻と二人で交互に車を運転し千葉の 柏を出発。前日夕方、温泉津港でゼファーラの面々と落ち 合ったところである。なお、家内はそのまま車を運転し益 田の実家に戻り、5月3日萩港まで車で来て、午前の便で 見島に渡り、隠岐からもどってくるゼファーラーと落ち合 い、私はここで下船し益田で連休の後半を過ごす予定。
本日は、午前4時起床、前日から山口さんと日野さんが準備していてくれた、肉うどんと野菜サラダを美味 しくいただき出航の準備。午前5時4分、沖からの向かい風のなか出航。港の沖で日御碕に向け右に転舵する と潮流は(連れ潮)後方から、風も左後方から6~8m程度の追い風。天気は晴れ、絶好のロケーションである。連休に入ったせいか、漁船の船陰もなく、こんな日はレポートに書くようなことは何も無いと思われたが、 日御碕の手前で、潮目であろうかホンダワラの塊りを横切ると、しばらくたって渡海さんがエンジンの微妙な 異音に気づき、調べるとスクリューの回転数が200程度下がっている。おそらくスクリューに海草が巻きついたものと思われるとのことで、スクリューを逆転させ最初のトラブル解除。
8 時過ぎ予定より早く日御碕灯台沖をとおり、いよいよ隠岐 諸島に舵を向ける。左後方からの追い風もあり、8ノット前後 で順調に進むが、11時過ぎ突然エンジン停止。燃料パイプに 空気が入ったものと思われ、エア抜きし、エンジン再稼動。エ ンジン停止中も5ノット程度のスピードで順調に隠岐に向か う。島根半島は後方に見えるが隠岐の島影は見えない。12時 過ぎに再度エンジン停止。エア抜きするとともに、左舷側燃料 タンクの不足も考えられるとの事で、積んできたポリタンク6 本の燃料を左舷タンクに補充。14時10分 知夫里島と西ノ島の間を通り、一旦、当初予定の来居港に向かうが、渡海さんが遅めの昼食にラーメンが食べたいと言い出し、食堂のある浦郷港に向かう。が、隣の湾に、フェリーも入ってこない静かで良い新しい岸壁が出来との情報により、隣の浦の谷に向かう。小型漁船が多数止まっており、空いた岸壁に艫づけすることとし、バックしながらアンカーを下ろすがうま く海底に喰い込まず、再度チャレンジ。今度は海底に設置した ロープにアンカーが絡みつき四苦八苦。岸壁から地元の人たち が数名我々の苦戦振りをしばらく見ていたが、とうとう見かね て船を出し、アンカーに絡みついたロープを外すのを手伝って 頂きました。一時はどうなることかと思っていましたが感謝し ます。
教えられて、郷浦港の漁協前に着岸、ここでも最初はアンカ ーをうまく降ろせず・・・、予定より早くついたのに、あまり 機会の無い人たちのためにアンカーの上げ下ろしの訓練で、結 果的には16時35分の着岸となりましたと、レポートには残しておきます。
実際には、温泉津港から隠岐の西ノ島と知夫里島との海峡まで、70海里を9時間で走行したことになります。
岬の上にある元国民宿舎の国賀荘にてお風呂を使いましたが、郷浦漁港を見下ろす展望風呂に満足。漁港前の 食堂竜宮にて一部の人には不評の貝のフライトと刺身の夕食。隠岐の最初の夜となりました。
第6日目 4月29日(日)
隠岐諸島 西ノ島 浦郷港在泊 レポート 原 恒道 天候:晴れ 風:中風
本日は、広島からの後発組(平田、山本、杉山)3名の到着までフリータイムとなる。たまたま、断崖絶壁で有名な国賀海岸の浜で「国賀祭」が催されるとの事で、仕事を抱えた渡海さんを船に残し、佐、山口、日野、原の4名は祭りで運行された無料バスで会場に向かう。駐車場から一旦お祭りの会場の浜に降りるが、テント作りの模擬店では仕込みの最中であり、時間がかかりそうなので目の前そそり立つ国賀海岸の上りに挑戦。国賀の浜から牛糞と馬糞を除けつつ、約40分かけ急な尾根を登るが、さすがに浜から257mあると皆息がきれて・・海の男は陸に弱いし、高所恐怖症の者は崖のそばに近寄れない。
汗をたっぷりかいて浜辺まで降り、待望の岩ガキで一杯と模擬店に飛び込むと既に売り切れ。エ!エ!やっと12時を回った時間なのに他の模擬店も同様(^_^;)品切れ。 ブラブラしているとアラ汁を無料で振る舞っているのにあり つく。ゆっくりする予定であったが、いかんせん食べるものが 無いのではしかたないと、早めに浦郷港へ戻る。午後2時前、島前の別府港で後発組を出迎え8名となる。午 後3時10分発の定期観光バスで赤尾展望台→国賀浜→由良 比女神社と2時間弱の観光を行う。運転手が観光ガイドも兼ね ており、要所要所でバスを止め景色等の案内をしてくれる。さ すが観光案内書より細かく数段と分かりやすい。島前の島々(西ノ島、中之島、知夫里島)は阿蘇山と同じようにカルデラ の痕跡とか。
前日に引き続き国賀荘の展望風呂の後、日野さんが釣り人から入手した魚でお鍋。なお、お昼に食べ損ねた 岩ガキを魚屋で入手し、夕食は念願の生岩ガキを賞味する。広島のとろけるような牡蠣と異なり、むっちりし た歯ごたえでした。
平成19年4月30日(月) 西ノ島 浦郷港在泊 レポート 原 恒道
前々日のアンカーにてこずったせいか、浦郷港の岸壁に横 付けしたまま3日目の朝を迎える。朝、早起きしたベテラン クルーはラジオにあわせ岸壁でラジオ体操。ラジオ体操第一 は昔取った杵柄で何とかこなすが、第二に入るとほぼ覚えて いない。横を見ると皆同じ状態で安心した。午前中は定期観 光船に乗ることとなり、海から国賀海岸を見学。岩に囲まれ た狭い水路や洞窟を航行するため、少し波が出ると運行中止 となる。乗った便も波のため洞窟には入らなかったが、摩天 崖を海から見上げた。
山口県の見島で見島牛を食べられなかった面々から、是非と も隠岐牛を賞味したいとの声があがり、浦郷地区で扱っ ている焼肉店に連絡すると、今は隠岐牛は扱っていないとのこ と。別府地区で1カ所観光案内書に載っている店があり、連絡 するも同様であった。別府港待合室での観光案内所で聞くと、 中ノ島の焼き肉屋でもしかしたら賞味できそうとの情報で、知 夫里島にゆく予定を急遽中ノ島に変更。定期連絡船で中ノ島に 上陸し、港の観光案内所で電話番号を教えてもらい連絡を入れ ると店の開くのが夕方6時。中ノ島には歴史民族博物館や隠岐 神社があるので、それまでは島内観光することとなる。まず、 <半潜水型海中展望船あまんぼう>なるものに乗船。前後の便には幾つかのグループが乗船していたが、午後2時過ぎの乗船した便は、我々一行の8名のみの貸し切り状態。 三郎岩付近の海底を眺めたが、魚どもも昼休みのためか、小魚だけであまり大きな魚は見かけず、残念。
次に、中ノ島の中心部である中里地区にバスで移動。歴史民族博物館、隠岐神社と見学した後、日野さんが 入浴出来るところを探してきてくれる。保健福祉センター「ひまわり」にて入浴。ところで、お風呂について一言。温泉津以降3カ所で入浴した が、設備の一番良いのが、ひまわりの風呂であった。100円の 貸しタオル代で、バスタオルとフェイスタオルの2枚を貸しても らえた(入浴料200円+貸しタオル100円)。なお、眺めの 良いのが、国賀荘の展望風呂(入浴料500円貸しタオル料込み) で、ここは、風呂の中から浦郷港を出入りする船や夕日の眺めら れるところであった。温泉津の元湯泉薬湯(入浴料300円貸し タオル無し)は、地元の旅館の外湯であり、地元の人達は44℃ 以上?の熱い湯に平気で浸かっていたが、ひ弱な連中はその横の 浴槽に入浴。いわゆる昔の湯治スタイルの浴槽であった。
風呂上がりのさっぱりしたところで、待望の島生まれ島育ち「隠岐牛」の焼き肉。おいしかったです。堪能 し店の外に出ても日没が遅いので、空にはまだ明るさが残っていました。島前巡航船「いそかぜ」で西ノ島に 戻り、別府港からジャンボタクシーでゼファーラへ帰還。
(おまけ)
5月1日(火)曇り
隠岐諸島 西ノ島 浦郷港 → 島根半島 大社港
天候悪化の情報により、予定より1日早く隠岐を離れ本土に向かうこととなる。午前5時起床。広島に戻る山口さんと、急用が出来て益田に向かう私(原)を岸壁に残し、雨の降る中、午前6時浦郷港を出港し島根半島へ向かう。
第6日目 4 月 29 日(日)
大竹市黒川 ~ 広島市佐伯区 平田邸~安芸郡府中町 杉山邸~
境水道 隠岐 西郷~西の島 別府港~郷ノ浦港 300km(車)+50 マイル(高速艇)
レポート:山本 孝司(浦郷港乗船) 天候:快晴 風:そよ風
出港:境水道~隠岐 西郷港 経由 西の島 別府港 高速艇レインボー
車にて 0740 西風新都ICよりETC通勤割引をオ利用する 為、庄原ICまで90数kmを欽也君のカードを利用、庄原 IC0840 から北房ICまで90数kmを杉山君のカードを 利用、北房ICより最後の米子ICまで私のカードで境港の 駐車場に到着する 400m手前で水木茂ロード観光のマイカー が駐車場に入車で止まってしまった平田、杉山両氏は、車を 降り観光案内所まで行き迂回路を探し、水木茂ロードを通り 抜け何とか乗船時間に間に合った、手荷物のプロパンボンベ は、問題無かったが、クーラーボックスは持ち込み禁止らし く帰りはフェリーで帰る様、指摘を受けたが、「あんたが、そんなに言うのならもうこの港には帰らない」と、小声で言った。船内には売店が無くクルージング用の食料に 手を出しました、1300 到着久しぶりにゼファーラーと対面、昼食は杉山君がラーメンをご馳走してくれるの で楽しみにしていたが、行き成り観光バスで島巡り、今朝ほど佐竹氏と、原氏は、無料バスに揺られ麓の駐車 場から断崖絶壁の頂上まで徒歩で登り絶景を眺め素晴しさを強調していた。
この島には牛○百頭、馬700頭から900頭居て寒くなると牛は牛舎に連れ戻るが、馬は一年中この島の丘 に放され子どもが生まれると熊本に旅をさせると言う。牛、馬がこの丘から麓の町に行かないように昔は、扉 を設置していたが今は、地面に電車のレールの様な鉄板を牛のヒズメが丁度嵌る位の隙間を開けて敷くと、牛、 馬は其処を通る事が出来ないらしいが、其の外側の道路には明らかに其のものの排泄物がアチラ、コチラに見 ることが出来た。
船に戻ると利口なカラスがデッキの魚の残飯を食い散らかしそこ彼処に糞をしていた、早々に片付けデッキの残飯をカラ スの見えない所に仕舞った、夕方丘の上に有る景色の良い風 呂に入り帰ると又もやカラスの攻撃を受けていた、今回はデ ッキ中央に置いたダンボールで蓋をしたコンテナの中の野 菜を食い散らかされた、今夜のメインディナーは、キムチな べ他、盛りだくさんの料理で体重の増えるのを気にしつつ満 足して床に就いた。
第 7 日目 4月30 日(月)
西ノ島浦郷港~別府港、中之島海士菱浦 天候:快晴 風:そよ風 レポート:山本孝司
午前中観光船で島巡り、運河を通り昨日行った断崖を海上から眺め た船上では、観光気分も盛り上がり記念撮影を其処かしこで撮って いた、昼食は、港のそばにも食事処は4.5軒有ったが、地元の人 に聞いたこの港一番の中華料理屋「・・・・」で全員しょうゆラー メンと、生ビールを注文する、「同じものを注文してくれたので」 と、サラダと餃子のご好意を頂く、平田トラブルの下請け原観光の 案内で、バスに揺られ別府港より海士港に着き水中観覧船アマンボーにて景勝地「太郎、次郎、三郎岩」の廻りの海中見物、ホンダワラの生い茂る海中にススメダイ、タナゴ、グレ、河豚、チヌを眺めながらメインイベントの出てくるのを待っ ていたが珊瑚も大きな魚も見られず不完全燃焼で終わり、此処からは、平田トラブルの下請け原観光の下請け 日野旅行社の案内で、バスに揺られ歴史民族資料館、隠岐神社に参拝する、境内の入り、手と口を清める作法 の指導を受けた、屋根の葺き替えをする為、銅版 1 枚千円の寄付の受付が有り、板金屋の息子としては、一枚 寄付しておく事にした、風呂に入りたいと現地の情報を収集し丘の上にある老人福祉センターひまわりなら、 入浴出来るとの事、建物は、「大きなボールを縦に割って片方を5m位地下に沈めたような建物で、我々は、 入浴出来ないのでは無いかと心配し、私たち未老人は「二人の老人の介護人で一緒に来ました」と言う事にし 福祉センターに入る前では、「手を揺らした老人に誰かが肩を貸ながら入ろうと」、口裏を合せていたが無事入 浴することが出来た。今回のクルージング目的 隠岐牛を食す、を焼肉店井上で果す、店に入る前は、「建物 の構えが悪い」だの「場所が悪い」と散々けなしていたが店に入るや、カルビ、モモ肉、脛肉、ホルモンを注
文し大変満足した、聞けばここの主人は、隠岐牛潮風ファームの顧問だった、帰りは、ジャンボタクシーを呼んでもらい一人 200円のバスより安く港まで送って頂いた、日野旅行社の時刻表で、20:30 発の道後行きを待合室で待ってると、一つ前の別府港行きの船が出港して行った、20:30 の船に無事乗船出来、其処から先は待合室で連絡したジャンボタクシーが港で出迎えてくれていた、ゼーファーラーに帰りサロンで何時もの様に宴会が開催され夜が更けていった。
今回のクルージングに参加してまだラットも包丁も持っていない何だか妙な旅になりそうだ。
次号に続く
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