4 月29日(水)天候:小雨のち晴れ 風:1~3m 宇久島観光~宇久島フィッシャリーナ~5M~野崎島港
欽也シェフの朝食を食べ8時にレンタカーで島内半周の島内観光にでかける。島内は今新緑がとても綺麗で若葉が目に染みるとは此のことを指すのであろうか?島内を観光するのであるが借りたレンタカーは軽バンで4人しか乗れず、渡海さんは船で何かと作業があるとかで船に残るとのこと。どうせ見るところの無い島だろうと思いきや沢山感激するところが続出するので、何から書いてゆこうかと思うぐらい。
朝起きた時には霧雨くらいの雨であったが、島巡りする頃にはすっかり雨も上り五月晴れとなった。まず、最初に訪れたのが「アコウノ大樹」長崎県の天然記念物とか幹回り15mとかさすがに古木の貫録がある。宮崎駿のアニメに出てくる森深くにあり妖精が出てくるような大木である。容姿はガジュマルに似ていて木の枝から地面に向かって根が枝を支える様に垂れている。
次に訪れたのが「宇久神社」ここは賽銭箱もなく軽く流したが、わが町の三篠神社の宮司より依頼された貝殻のことをあらたに思い出した。宮司は学生の頃より貝のコレクターで、以前やはりゴールデンウイーククルージングで宝島に行くと言った時、すぐさま宝島にはサザエよりずっと大きなと夜光貝言うのが居るから何とか手に入れて来てくれとのこと。今回のクルージングでも依頼されたが収穫は望めそうにない。
十数年前筑前大島に寄った時漁師が丁度帰って来て、草履の様な「アワビ」を見て褒めちぎると頂けたが、今回 港に入ったら全く模様替わりしていて、地の人に聞くと最近アワビは取れないとのことだった。はてさて困ったものだ。話を元に戻すが、次に行ったのが平家盛公上陸地点、家盛公は源平合戦に敗れ安住の地を求めてこの地までたどり着いたとのこと、まあよくこの辺りまで来たものだと感心する。
次に訪れたのが小高い丘のうえにある「厄神社の大岩」高さ10mはあろうかと思われる巨岩がそそり立つ、今にも覆い被りそうな大岩である。まだまだ沢山あるのだが特質すべきは島のおばちゃん「丸形」さんで、今、花の咲いてる木が対馬から持ってきた「ヒトツバタゴ」の木だと言う。すかさず、「なんじゃもんじゃ」の木ではないか!と尋ねると「そうだ」との返事。それからと言うもの打ち解けて、やたらと会話が弾み20分近く話をしただろう。まず、第一がイノシシ対策。
数年前 対岸の唐戸島から渡ってきたとのこと。電気柵を田んぼの廻りに張り巡らし大切に育て、盆に帰って息子や娘家族に食べさせるために8月には収穫出来る様に早稲にして育てているとのことだった。
話は進みこの島の大部分をソーラー発電機のパネルで覆いつくす計画に大反対をしているとのこと。また風力発電にも反対だとの主張をしていてこの大自然を壊されてたまるか!との考えを聞かされ、一堂納得した。
この「丸形」さんは、和牛を飼っておられ子牛の雄が生まれたら60万円、雌で50万円で売れるとのことで、この子牛たちが神戸に行くと「神戸牛」に長崎に行くと「長崎牛』になるとのことだった。このおばさんの演説に一同長崎県議に立候補したらと言い残し、おばさんが勧めてくれた「城ヶ岳」山頂展望台に向かった。山頂からの展望は素晴らしく天気の良い日には遠く対馬まで眺望できると言う。大自然を大いに味わった半日ツアー、相変わらずの平田トラベル添乗員に感謝!
その他で印象に残ったのは「三浦の大蘇鉄」樹齢千年とも言われる長崎県の天然記念物が、三浦神社に自生している。この対岸の「乙女の鼻」には悲しい言い伝えがあり、朝鮮出兵のおりこの湾に船団が終結し、ここから朝鮮に出兵して行った。ここに停泊している間に兵士と娘が恋に落ち、帰ってこぬ兵士を2年間待ち続けた後にこの断崖より身を投じたのでした。この娘をこの祠に奉ったらここからソテツの芽が出てきたと言う言い伝えとのこと、ソテツの赤い実を一粒頂いたが持ち帰ると海が荒れるとの言い伝え。
その日の午後6時ころから野崎島に停泊していて天候が急変し、雷がピカピカ、ゴロゴロと鳴り、強風が吹き荒れ、雨がとても激しく降りだしたのはそのせいか?
ゼーファーラーのバウデッキで昼食を採り、13:20 宇久のフィシャリーナを出港し、野崎島へ、ここは無人島で野生の鹿とイノシシがいて今は完全に無人、小値賀島町が管理していて通常では無断入島出来ないらしいが、平田君が町と交渉し、入島出来る事に。
15 時10分 通船「はまゆう」がツアーガイドと見学客を運んだ後に桟橋に係留し直し、早速 島内散策。昭和46年まで集落に住んでた人々はこの島を捨てて無人となり、平成13年、最後の住民であり、島を守り続けてきた沖ノ神島神社宮司の離村により、今現在こうして島に居るのは我々「ゼーファーラー」メンバー5人のみとなる。ここでの目的は、明治41年、わずか17戸の人々が三食の食事を二食に減らし資金を貯め、当時教会建設の第一人者である鉄川与助に依頼して丘の上にレンガ造りの立派な<野首教会>の見学。
当時レンガは貴重だったと思う、同時代に建てられた江田島の旧海軍兵学校のレンガ1ヶが、米一升と言う時代。だからこの島の人々の信仰心は並大抵のものではないと感じる。さぞかしこの教会を残し島を離れるのに何度も胸に左手を当て十字を切ったことだろうか・・・・・・
こうした悲しい歴史のある県内の教会郡を、長崎県は世界遺産登録へと只今奮闘中である。
4月30日(木)天候:曇りのち晴れ一時雨 風速:微風 風向:1~2m
野崎島港~36マイル~福江島港 6時間20分 ほとんど機走
05:40 昨夜の雷雨も上がり野崎港を出航する。今朝は無風だが昨夜の強風の名残か、浪高1メートル位のうねりがある。30分位で津和崎瀬戸を西に入り込むと不思議なくらいピタッと浪も無くなった。本日は、福江島観光の予定しており出港が早かったので、コクピットで平田君が作ってくれた「おにぎり」と「餃子入りスープ」の朝食をとる。中通島の西側を南下し2度ほどジブを出すがほとんど役に立たず機走で、5.5~6KTS の快適なクルージングである。中通り島沖を通りかかると教会が見え、この辺りにはキリスト教が広く布教されているのが良く判る。久賀島と福江島間の田ノ浦瀬戸を通過する際、つれ潮で9KTSオーバーを記録した。高橋さんの餞別の鴨を使った鴨そばで昼食をとる。
12時、最遠目的地の福江港のJF水産加工施設前岸壁に着岸し、親切なJF職員から係留場所の可否と、風呂等の情報を教えてもらった。着岸後すぐに清瀧君が段取りしたレンタカーで観光に出発、昨日 田ノ浦瀬戸を通過中右舷に見えた赤いアーチ型の橋を渡ったすぐ近くにあるとても良いロケーションに建設されている煉瓦造りの「堂崎教会」の見学後、入口横のパフェでアイスクリンを食べ、「水ノ浦教会」(映画:「くちびるに歌を」のロケ地)を見学し、道の駅「遣唐使ふるさと館」で遣唐使と万葉集の勉強をし、コバルトブルーの「高浜ビーチ」を車窓から見て、「井持浦教会ルルド」を見学し、映画「悪人」のロケ地である「大瀬崎灯台」を展望台(灯台までは距離と高低差があるのでゆうに片道1時間はかかると思う)から眼下に見て、平田トラブル(トラベルでは有りません)の観光は終了。
帰路に「荒川温泉」で湯治し、福江市内のコンビニで氷を買ったところ向いが「福江城」(石田城とも言い、城壁と門だけが残っており福江高校となっている)跡だったので観光を再開した。ガソリンスタンドで給油(ガソリン:5.6 リットル、走行距離108km)し、明朝艇への軽油の配達を予約してレンタカーを返した。
夕食は、いけす割烹「心誠」で五島灘荒磯料理を堪能する。あいにく、はこふぐ(ふぐの腹に味噌を詰めて焼いたもの)は季節もので数が少なく品切れだった。そこで2時間たっぷり、山口さんの幼少期からヨットとの出会いや奥さんとのなれ初め等人生を熱く語ってもらった。
ヨットに帰って二次会の宴を開催したが、私は早々に寝床についたzzZ~
5月1日(金)天候:快晴 風速:微風 風向:0~2m
福江島港~26マイル~中通島青方港 5時間機走のみ
朝早く目覚め福江港付近を散策していたら、フェリーターミナルで山口さんと出会う。お互いに年を取ると朝が早いらしい。(寝るのも早いですが・・・)予約していたガソリンスタンドのタンクローリーにて、軽油160リットルを補給とポータブル発電機のガソリン10リットルを鋼製タンクに給油(赤色ポリタンに給油してくれと言ったら、法律上できないと断られた)し、朝食をとる。
博多発の「フェリー太古」で杉山さんが来福し乗船する。帰りの「フェリー太古」に乗船する山口・清瀧さんの見送りを受け、ゼーファーラーは帰路に向け09:00福江港を出航する。
浪は穏やかで微風のなか機走する。そろそろ「フェリー太古」に追い越されるなと後方を見たら小型のクジラと思われる尾鰭が3回くらい水面から立ち上がった。渡海さんがカメラを探し撮影しようとしたが、シャッターチャンス間に合わず実態は不明となった。
9:40「フェリー太古」と並走し甲板から清瀧さんが大きく手を振っているのが分かった。山口さんの姿が見えないので別れが辛くて船室で涙しているのだろうと皆で話していたら、後日談で船内を徘徊しているところを清瀧さんに無事保護されたとのこと。
開掛瀬戸に入り大瀬戸を抜けるが、小島や入り江が複雑に入り組んだ瀬戸の両岸の、目に眩しいばかりの若葉に覆われるこの海峡が、このクルージングの一番の見どころではないかと思う。若松大橋を通過しコクピットで冷麺の昼食をとる。若松瀬戸、飯ノ瀬戸を抜け一時東シナ海に出て青方港に入る。青方港の湾内に大規模な国家石油備蓄基地を見た。港の奥はうなぎの寝床で河川の堤防のような岸壁に14:00着岸した。
早速上陸し、道の駅、スーパー、土産物屋へ「五島うどん」、「あおさ」、「お菓子」など五島土産と食材を買いに出かけた。明朝 早く青方港に「フェリー太古」で来て折返し平戸に向かう、佐竹・山本さんの土産も頼まれており大量の「五島うどん」、「あおさ」が必要になり、一店舗では品切れになるため数店はしごをして「爆買い」をした。
夕食は、割烹「鉄川」の海鮮料理の予定だったが満席で断られ、船内にて道の駅で買った「ぶり」、「ひらめ」の刺身を中心に海鮮を堪能し、夜は更けていった。
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