スペルバウンド国東半島航海日誌

2005年 国東半島

SPELLBOUND 2005年8月 

【三つの理由】
「お父さん、盆に新居さん夫妻とクルージング行くんでしょう?」『それが新居さん達は行かな いらしいよ』「そう、じゃあ我々だけで行きますか?」『何処へ行きたい?』何処へ行きたいと聞 かれても 2 泊 3 日となると行き先は限られている。(佐田岬と言いかけて慌てて口を抑えた。目的 地を目の前にして引き返した無念さと、つらい船酔いが蘇った。)8 月 13~15 日の天気予報は 3 日間とも「晴れ」悪天候にはなりそうも無いが‥‥‥
主人にはクルージングという楽しみが有るが私にとって船酔いは拷問に等しい。それでも私が主 人と共にヨットに乗るには三つの理由がある。一つ目は目的地を目指す船旅は、まるで目的をも った人生そのものに感じられ達成感が得られるから。二つ目は自称グルメの私にとって旅先で美 味しい海の幸を味わえること。三つ目はその土地の人や歴史、文化にロマンを感じるから。「そう だ!お父さん,前に新居さん達と行った国東半島にしようよ!」私の頭の中を関鯖,関鯵,城下 カレイが泳ぎ出した。主人も経験のある航路と言う事で目的地は国東半島に決まった。

往路(赤線) 復路(青線)  航行距離 140 海里

<8 月 13 日>
AM4 時我々夫婦の他、友人の江原夫妻を乗せスペルバウンドは、まだ夜の明けぬ内に希望に 満ち溢れ目的地を目指して母港の<廿日市ボートパーク>を滑り出した。
AM8 時 30 分釣り船で混雑する大畠の瀬戸を通過。時速 7 ノット,風力 10~15 ノット。オート パイロットがジィージッジッジッジィとリズムを刻む。波も穏やかで風も汗ばむ肌に心地良い。 船長である主人に「船は我々3 人に任せて少し仮眠をしたらどう?」と勧めた。「じゃあ、ちょっ と寝ようかね」それから 1 時間程して船が前航海の航跡どおり航行していない事に気付いた。慌 てた私と江原氏はオートパイロットを右に+10 左にー10 と操作して軌道修正を試みたがどうも迷 走している様で自信が持てない。「これはイカン,船長を起こそう」船長は何事かとすっ飛んで来 た。その後は順調に進み予定時刻より 1 時間早い PM3 時に目的地である武蔵マリーナへ着岸する事が出来た。マリーナのスタッフが笑顔で出迎えてくれた。

カウンターで手続きを済ませた主人が「15 日早朝に出航するので係 留費を前払いしたいのですが」と言った。2 泊 3 日で 7980 円と記さ れた請求額の安さに私は驚いた。町営と聞いて納得した。マリーナ でホッとする間もなく宿泊先の望海苑へとタクシーで向かった。望 海苑は国民年金保養センターなので国民年金加入者であれば宿泊 料金が 1 割安く泊まれる。年金不払いが多いのか、やたらと『国民 年金は、あなたをサポートします!』『明日のあなたを考えて・・・ 年金は、あなたが主人公です』といったポスターが目立つ。部屋に 入ると、たった今航海してきた『海』が目の前に飛び込んできた。 温泉好きの私は、早速誰もいない大浴場で海を見ながら疲れた体を 掛け流しの湯に解放した。

<8 月 14 日>
AM9 時にホテルをチェックアウトした我々は霊場巡りにレンタカーを借りる事にした。大分 空港前にはレンタカー会社が軒を連ねている。「広島から来たのだからマツダでしょう」と何故か 郷土愛が沸き上がりマツダ社へ行くが適当な車が無い。トヨタ社でカーナビ付きのカローラを借 りた。土地感の無い所ではカーナビは必需品である。レンタル料は 12 時間で 7200 円+ガソリン代(営業時間PM8 時迄)である。


【六郷満山霊場巡り】
国東半島には、宇佐神宮と六郷満山 33 の霊場がある。六郷と は六つの里という意味で昔の国東半島を構成していた地名であ る。満山とは寺院の集合体を表している。中心的な神社として 宇佐神宮があるが国東半島は神仏が渾然一体となった霊地であ る。主人は、3 回目私は 2 回目の訪問であるが中々33 ヶ所の霊 場を制覇するのは難しい。江原夫妻が初めてということなので 以前に新居さん達と巡った両子寺、富貴寺、熊野磨崖仏の 3 箇 所に決定。

<両子寺>は国東半島 のほぼ真中に位置する。 平安~鎌倉ににかけて、 六郷満山修行道場本寺と して栄えた。今日では厄 除け,交通安全、安産祈 願等の参詣者が全国から 訪れる。
私も前回訪れた時、家族 全員の守り袋を土産に買 った。

<富貴寺>に着くと左右の大きな仁王像が出迎えてくれた。江原女子が『日本の仁王像の 70%がこの国東半島に有るそ うよ』と言う。そう言われてみれば何でもない道路にも仁王像やら石灯篭が立っていたなぁと思 い出す。富貴寺は満山を統括した西叡山高山寺の末寺の一つ天台宗に属す。国宝富貴寺大堂は平 安後期の建立で総素木(榧)造りである。実に簡素な形であるが優美な屋根の線に「安定」を感 じる。阿弥陀如来坐像は重要文化財として保護されている。一つのガラスケースを覗くと展示物 が無い。ふとどき者によって盗まれたと書いてある。世の中には罰当たりがいるものだ。

<熊野磨崖仏>は国指定史跡、 像重要文化財に指定されている。『鬼が積みし石段を, 登らば現れむ岩に刻まれし大いなる仏よ』鬼 が一夜で築いたと伝えられる自然石の石段 は杖無しではとても登れない。(チケット売 り場前にある杖を是非、意地を張らずに借り て下さい。)我々夫婦は 2 回もチャレンジす る勇気が無いので江原夫妻と 2 時間程別行 動することにした。(石段往復所要時間は 1 時間程)

国道 10 号線を目指し、車を 10 分程走らせると『風の郷』と書かれた幟がはためいていた. 一見「道の駅」かと思ったが八角形の建物は食事と宿泊が出来、温泉も有る.(二人共きっと汗だ くに違いないし、迎えに行くにも丁度良い。)昼定食(1500 円)を頼むと入浴チケット(400 円) が付いてくる。温泉に、のんびり浸かってまたまた癒される。霊場巡りと温泉を充分楽しんだ我々 は午後 8 時にはレンタカーを返さねばならないのが気になりだした。それ迄には夕食を済ませた い。だが飲食店は盆休みでどこも休業中である。結局マリーナ近くの『いこいの村国東』のレス トランに落ち着いた。3000 円の懐石料理を注文する。予約無しなので順番を待つ事 1 時間余り、 ようやく席に着き生ビールで「乾杯!」。抹茶で化粧をしたごま豆腐が可愛らしい。出てきた料理 は11品。「熱いものは熱く、冷たいものは、冷たく」絶妙なタイミングで出される。中でも海草を練りこんだ素麺は『まさに、技あり!』江原氏も懐石料理を自分で調理するので『この値段で、 これだけの料理は中々出出来んよ』と料理人の厚いメッセージを受け止めていた。大満足の我々 は、レンタカーを返し、ヨットに戻った。空気が清んでいるのか満天の星がキラキラと美しい。 視力 2.0 の江原女氏が『見てみて!天の川かしら?小っちゃい無数の星が見えるよ!』「えっ何処 何処?」老眼の目に鞭打ち、探してみるが大体の星しか私には見えない.(きっと江原さんはアフ リカで生まれたに違いないと思い、探す事を諦めた。)子供の頃の私は、月ではウサギが餅を搗い ていると本気で信じていた。星を見ながら懐かしい自分と対面していた。

2~3 日前TVニュースでディスカバリーが無事帰還したと報じていたが,私はその時 720 日以 上も国際宇宙ステーションで働くロシア人のことを初めて知った。彼は、まだ 2 ヶ月以上任期が 有るそうだ、きっと今も宇宙から地球を眺め『帰りたい』と思っているに違いない。それとも孤 独と戦えるほど宇宙には魅力があるのか? 私も一度はこの目で自分の生まれた星を見てみたい。 4 人は星に抱かれながらデッキで深い眠りに落ちた。

PM5 時 30 分スペルバウンドは、目的を果たしたと言う「達成感」に満たされ、ホーム<8 月 15 日>AM7 時心配した風も無く,波も穏やかでスム ーズに出航出来たことに安堵した。ところが昼近 くになると、ポツリポツリと雨が降り出した。イ ヤ~な予感がする。真っ黒な雲が辺り一面を覆い 尽くす。激しい雨が、合羽も着ていない私を容赦 なく打ち付ける。
ヨットは舳先から真っ逆さまにドーン!ドドー ン!と音を立てながら落ちて行く。寒さで身体が ブルブル震え出した。「お父さん!もう駄目だ。
気持ち悪いよぉ」やっとの思いでキャビンの階段を降りると江原夫妻が昼食の準備をしているで はないか。江原氏はスパゲティーを湯がこうと熱湯の前に立ち,女氏はユデタマゴの殻を平然と 剥いている。(この二人は、きっと宇宙でも暮らせるだろう)私は濡れた服を脱ぐのもソコソコに ビニール袋に顔を突っ込んだ。
PM1 時 30 分大畠の瀬戸を通過。時速 6 ノット、風力 25 ノット,最大瞬間風力 30 ノット その時、屋代島を目掛けて稲妻と同時に轟音。「うわーっ!雷が落ちた!!お父さん!あの雷がヨ ットに落ちたらどうしよう‥‥」『大丈夫だよ、落ちはせん!』私は船長にしがみ付き、六郷満山 の神仏に手を合わせた。
PM4 時阿多田島付近になると風も波もすっかり穏やかになっていた。 ポートの廿 日市港に帰港した。
航海とは“真に人生なり”人生は順風満帆とばかりには行かない。大自然を前にして「人間」 は、なんと小さな存在なのか。『人間は生かされている』国東半島の神仏に合掌。
                            BonVoyage! 船田和江

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