第四日目:5月1日(水) 天候:曇りのち晴れ 風:4~8m 波:1~0.8m
09:00 土佐清水~17:10あいなんかわうそ海の駅
朝目覚めると昨日まで岸壁に係留していたマグロ漁船、モータークルーザー、ヨットは順次出発し始めていて、我々の艇が最後となった。ゆっくりと朝食を食べ出航。居酒屋「漁田」が予約一杯で、食べられなかった鰹の塩たたきに未練を残しながら清水港を後にした。風、波共に穏やかである。取りあえず航路設定してある沖ノ島東、浦葵島と幸島の水道を目指す。風向は西、満ち潮で逆潮、沖ノ島を超えた辺りから少しずつ風が北に廻ったがジブセールを出せる状態にならずに相変わらずのメインセールとエンジン併用の機帆走。コースから少し西に膨らんで愛南町西沖の横島通過、直後に90度タックして北東に変針、御荘湾に入り少し行くと、親切に「あいなんかわうそ村海の駅」から湾内に生簀が沢山あるためか、パイロットの船が迎えてくださった。一番奥の桟橋に着船17:10、本日の航程43マイル平均速度4.6ノットであった。
ここ「あいなんかわうそ村海の駅」は向田真珠が経営されているとの事で、現在 真珠養殖は少なくして巻き網船団を経営されておられると共に、海のレジャーにも力を入れておられるとの事。マリンジェットや、今 流行りのフライボード、スタンドアップパドルボードをインストラクター付きで体験できるようである。また 「海蛍」と言う海鮮鉄板店も経営しておられ、本日は休みであるのにかかわらず、社長の娘さんに特別に「牡蠣」と「ヒオウギ貝」を焼いて頂き、美味しく頂きました。いままで食べた事のある「ヒオウギ貝」の中で、一番美味しく思いました。生かしている環境が良いのでしょうね。その後漁労長より酒のアテにと新鮮な干し鰯を頂き、こちらもおいしく頂きました。感 謝!
隣の巻き網漁船のキャビンに 15~16 本くらいのアンテナが林立している。あんなにたくさんのアンテナが必要なのかと聞いて見ると、必要だとの事だったが不思議な気がする。また 我々の風力ジェネレータを見て、いくらくらいするかと聞かれで20万円位と言うと、巻き網漁船の風向風速計が100万円以上するとの話にも驚きである。
明日の航海に備え航路計画をし、気持ちよくバースに付いた。zzZZZZzzzz
第五日目:5月2日(木) 天候:晴れ 風:3~5m 波:0.5~0.8m
09:00 あいなんかわうそ海の駅 ~船越運河~日振島能登港~17:00宇和島港
朝目覚めると久しぶりの快晴で海も穏やかだ。昨日 湾の入り口まで迎えに来てくれた方が桟橋に来てくれて、なんと魚をくださることに。隣の生簀を見に行くと、丸々と太った鯛やチヌが泳いでいる。湾の周りにある養殖筏からの餌のおこぼれで大きく育っているそうだ。仕事の合間に漁労長(あだ名)が釣り上げた釣果。山本さんが「一番小さなのをください」。それでも5~60㎝ある○○鯛(名前を忘れてしまった)とチヌを頂き、その場で捌いてもらう。ここはパラダイスだ!
09:00 お見送りを受けながら、後ろ髪を引かれる思いで出航する。
本日は宇和島港に入港予定だが、途中寄り道をして日振島に立ち寄ることに。北北西の向風だが、波もうねりも無く昨日と違ってクルージング日和。北西7マイル先の船越運河を目指す。細く突き出た半島の真ん中を横断する人工の水路で、幅は25m、長さ200mと小規模ながら、上にかかる長い間ご無沙汰、懐かしい笑顔コンクリート橋の桁下は19.5m(wikipediaでは古い鉄橋が載っていて桁下17.5m)と表記してありマスト上の風見から2.5mの余裕が有る筈でも気持ちが悪い。メインセールも降ろし、恐る恐る対抗船が無いことを確かめながら水路に入る。途中で対向船とのすれ違いや、Uターンはできないので、スロットルを上げ逆潮の中、急ぎながらも慎重に走る。まるで川を遡っている感じ。一気に通り抜け、13 マイル先の日振島に向け、北西に進路をとる。穏やかな航海中、今朝頂いた魚を短冊切りし、竹箸で串刺してテグスでライフラインにぶら下げ天日干しにした。
13:30 日振島能登港に入港。40 年前の大学生時代、ヨットで初めて瀬戸内海を超え入港した思い出の地で、島の人々に歓迎された記憶が蘇る。渡海さんは当時から世話になった漁師さん宅を訪ねて上陸。港で待っていると、小学生くらいの姉妹がお母さんの天草を干す作業を楽しそうに手伝っている。都会では見られなくなった微笑ましい光景に早速出会う。渡海さんが帰船して間もなく、漁船が港の奥から近づいて来る。白髪交じりの漁師さんは、間違えなく学生時代にお世話になった方だと分かった。感激の40年ぶりの再会。船上には魚が詰まったトロ箱が見える。お土産にトロ箱の魚、鯛・グレ・イサキを氷付きのトロ箱ごと頂いた。ここもパラダイスだ!感激冷めやらぬ中、16マイル(橋下が通れずに引き返したので18マイル)先の宇和島港に向けて出港した。
16:30 宇和島港に入港。途中、九島の南を回る航路に橋が架かっていて高さ 15.5mと書いてあり断念。引き返して北を回るルートで入港したが、九島の周りは筏やブイが無数にあるので、夜間の入港はお勧めしない。港の一番奥にある、海の駅みなとオアシス宇和島の桟橋に係留予定だったが先客があり岸壁に係留した。ここの目印は「回転寿司すしえもん」の黒い建物。元Jリーガーが経営しているそうで、大繁盛の人気店。連休中ともあって、そこも海の駅「きさいや広場」も多くの人で賑わっているので、便利だけどちょっと騒がしい。広島より仕事で東京経由から合流予定の山口さんを待つ間、銭湯に行き買い物をして準備万端、夜の宴会を待つばかり。その後、宇和島ヨットクラブの徳田文明さんの助言で、艇が座る恐れのある岸壁からすぐ横の商用桟橋に移動した。
20:00 山口さん乗船。本日のダブルパラダイス話に花を咲かせ、とれたての魚と美味しいお酒でキャビン夜話は続く。クルージングの最大の、楽しみは気の置けない仲間と過ごせるこの時間かも。おやすみなさい・・・
第六日目:5月3日(金) 天候:晴れ 風:3~5m
宇和島観光:宇和島水産高校「愛媛丸慰霊碑」参拝、天赦園見学、宇和島城見学、宇和津神社参拝
08:00 朝ドラを見ながら朝ごはん。バケットのトーストサンドに潮汁。昨晩から持ち越しの茄子と豚肉の味噌炒め、魚いろいろのムニエル。
09:30 駅レンタカーに電話してみるもGW中につき借りられる車は無く、宇和島市内徒歩観光が決定。
09:45 宇和島水産高校の構内にある「えひめ丸慰霊碑」に向けて出発。平成13年、乗船者35名からなる「えひめ丸」は、ハワイオアフ島沖で緊急浮上してきたアメリカ海軍潜水艦が衝突。実習生4名、指導教官2名、乗組員3名を失いました。連休中にも関わらず献花されていたユリの花のとハワイ市民による植樹が印象的でした。
10:30 次の目的地、天赦園へ向かう途中、平田トラブルは期待に違わず道を間違えたので、歩く気を失っていた山本さんが早々に眼前にあった喫茶店に入るとモーニングの時間。飲み物だけ頼んでセットにしなくても、ゆで卵やらクッキーやら出てきてびっくり。朝ごはん食べたばっかりで、お腹一杯なんですけど・・・。これ以上歩けない山本さんは帰船。その他メンバーで改めて天赦園へ。
11:00 無事、天赦園へ到着。1672 年、二代藩主宗利が造成した浜御殿の一部を七代藩主宗也が移居し1866年に伊達政宗の述懐にちなんで命名されたとか。身分証を持ち合わせていなかったものの、渡海さんと佐竹さんは入口で生年月日を伝えて300円で入園(一般500円!)。園内に趣向を凝らした藤棚が6基あるのだが、少々季節が遅かったですね。しかし、18 種類もある様々な竹と池が浅くやたらウヨウヨ見える鯉は見応えありました。
12:00 宇和島城へ。現存 12 天守の一つで国宝指定の天守閣はかなり急な山道を登るらしく、敷地入り口に杖の貸し出しがあり。誰も杖を借りぬまま登り始めましたが、道は整備されているものの天守閣はえらく遠く感じられました。宇和島伊達家初代藩主は、仙台伊達政宗の息子だったそうです。
13:00 お昼ご飯は「じゃこ天うどん」を狙い。ネット検索して近場にあった「どがいぞう」は、セルフサービス。店に入ったもののシステムがわからず、地元のお兄ちゃんに先を譲って付いていくのだけど、皆さん、うっかりうどんを多めに入れちゃったみたい。お腹一杯美味しくいただきました。一人帰船した山本さんは、焼肉定食を食したそうです。
14:00 せっかくなので、地元の一の宮、宇和津彦神社へお参り。ご祭神は景行天皇の皇子、宇和津彦命で創建1300 年ほど。扁額に「榊杜宮」とある通り、他に参拝客もいない静かな神社でした。ここからは、4名がタクシーで帰船、タクシーに乗れない一番若い一人は2㎞の距離を徒歩で帰ったのでした。
18:30 銭湯へ向けて出発。
20:00 フジでの買い物を経て、銭湯から帰ってきてみたら、今日一日「2万1千歩」歩いていました。
21:00 晩御飯はお刺身三昧。鯛めしは、炊き上がったら釜の蓋が閉まらないほど盛り上がった張釜で、ホッチンご飯、お酒を入れて蒸し直したのでした。
<その3>へ続く
コメント